アウグスティヌス講話

アウグスティヌス講話
山田晶
講談社学術文庫

キリスト教神学の基礎を築いたとされる古代ローマの大神学者アウグスティヌスにかんして、熱心なカトリック信者でもある京都大学教授の氏がプロテスタント系教会で行った連続講義記録です。

まずアウグスティヌスが若い頃放蕩息子だったという説について。16から同棲して子供をもうけ、31で離別するまで身分の低い彼女一人を守ったという点で放蕩とは言えないのではというのが氏の見解。少なくともアウグスティヌスに大きな影響を与えたのはこの妻ではないかと。このあたり、嫁と姑のどちらの立場で話をするかでかなり印象が変わってきます。

続いて煉獄について。果たして地獄と違うのか。地獄は永遠の罰のため、煉獄は残された罪を償うための有限の罰のためにあり、魂が希望の苦しみで清められる場であるという。このあたりは教派によってだいぶ解釈が違いそうです。

3話目は三位一体について。父と子と精霊の関係については未だに理解できないですが、おそらく理解しようとしても正解は見つからないのでしょう。ただ、神というのはヒトが理解できるような存在であるはずがないので、一見理解しがたい三位一体もリアリティがあるのかなと。おそらく、原始キリスト教会の教会員も神と子と精霊の関係をどのように把握したら良いのか悩みに悩んでこのような考え方がつくられたのでしょう。

4話目は神が創造した世界に悪が存在する理由について。悪とみえるものははすべて罪であり、罪とは自らの意志によって人間が神に背くことだけであるという事。そして神の世界創造は今でも続いており、我々一人一人が信仰において新しい創造に関与しているということ、つまりこの世の悪という問題は他人事ではなく一人一人の問題であり、キリストに生かされている私たち一人一人が自分の内外の悪と取り組む先にしか全て善い世界は実現しない。神は悪をも善用されるほどに全能であるというのが答えです。






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なぜ日本にキリスト教は広まらないのか

古屋安雄
なぜ日本にキリスト教は広まらないのか
教文館

高野先生から勧められた、元国際キリスト教大学教授の著作。

2009年は宣教150年ということになるが、日本のキリスト者人口は1パーセントに満たない。この原因は何か。

歴史的背景がある。日本で初期にキリスト教に入信したのは地方豪農や下級武士層という儒教的な知識階級であった。これを幸いなる偶然の一致と評価するものもいるが、これが原因のひとつである。

知識階級のキリスト教であったため、知的世界のを追求する神学問題に関心を持ち、アジアで意義のある神学が生み出されたのは日本だけとまでいわれる。

一方で、日本の教会は知的で神学的説教が歓迎されるようになった。教会員は静かに講義を聴くだけになり、知的好奇心に溢れた青年も集まった。
まるで学校のように。ここから、卒業信者や中退信者が生まれることになった。思想としてしか受け入れらなかったためである。

しかし、若者、学生の知的レベルは年々低下した。観念的人生問題より現実的問題が切実になった若者が、教会に関心をもつことはなくなった。

希望はあるのだろうか。教会がさらに大衆化する必要がある。イエス神の国と十字架の福音を喜びをもって伝道する福音派の活動であれば若者がくる教会であり続けることができるのではないか。


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輸入された思想をありがたく受け入れるという日本人の態度は古くは仏教にまでさかのぼれる。キリスト教も仏教もマルクスも全部同じだったということか、それでは当然流行り廃りにながされるし、仏教や神社のように社会システムに組み込まれない限り永続できない。思想ではなく喜びになるにはどんな活動が必要なのか。福音派的スタイルが本当に有効な解決策になりうるのだろうか。











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ナザレのイエス

元ジャーナリストである著者が、第一線で活躍する学者たちにインタビューする形式で、 無神論者が抱く様々な問いに関して見解を述べた本です。

(インタビュー当時は信仰者ではなかった)無神論者が、また求道者が抱く様々な疑問。 「聖書は本当に信頼に足りる書物なのか」「なぜ今ある66巻が聖書と定められ、それに権威があるのか」 「そもそもイエスは実存したのか」 「イエスの復活は弟子の創作ではないのか」等。

第二巻では、「愛であるはずの神が世界で頻発する惨劇に、なぜ応えないのか。なぜ地獄をつくったのか。なぜ全人類を救わないのか。」などの疑問、問いに関して論証している。   

福音は信仰で受け取るものです。しかし、聖書・神に関して疑問に思う事に「信仰」で飛躍することなしに答える適切な資料と、考える指針を与えてくれる本です。

求道者のつまづきを解消する為にも、ぜひ読んでみてください。 貸し出しもします。(大)

ナザレのイエスは神の子か?―「キリスト」を調べたジャーナリストの記録 (ペーパーバック)

リー ストロベル (著), Lee Strobel (原著), 峯岸 麻子 (翻訳)


それでも神は実在するのか?―「信仰」を調べたジャーナリストの記録 (単行本)

リー ストロベル (著), Lee Strobel (原著), 峯岸 麻子 (翻訳)

出版社: いのちのことば社
プリンタ用画面
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作成:2009年3月31日 22:22 ひろぴ 更新:2009年6月21日 22:27 sn 閲覧数:1

Oh Radio

16日発売予定ですがアマゾンからすでに到着。もの悲しい曲です。何でだろう。清志郎は死が近づいているのを悟って胆だろうか。最後の名曲です。カップリングの激しい雨もいい曲です。確かにデモ用だからか少し荒っぽい感じだけど。これが最後のCDっていうのが悲しいね





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Oh radio


忌野清志郎 最後のCD Oh radio がAmazonから到着。

FM802でいろんなミュージシャンが歌っているのは楽しい曲調だが、このオリジナル版のなんともの悲しいことか。
たぶんもうあまり長くないってのが分かりながら歌ったのだろうと。

カップリングは「激しい雨」。家族の希望で選ばれたらしい。ファンの間でもこれを聞きたいという要望も高かったのでは。元RCメンバー(といっても3名だけど)での最後の録音となったわけです。デモ版だけあってさすがに荒っぽいけれど、正式版のMG'sのと両方良いです。

ロッキングオンジャパン

教会では本日はファミリー礼拝と称してお昼からバーベキュー大会です。しかし、残念ながら仕事の都合で九州に移動中です。

iPOdでずっと清志郎聞いております。youtubeのおかげでライブ音源もいろいろと手に入っていい感じです。100曲ぐらいかな。

昨日はロッキングオンジャパン特別号が届きました。ゆっくり読めなかったですが、以前読んだ記事もあり、RC時代の制作裏話やら盛りだくさんのインタビューです。チャボのインタビューは辛いですね。辛い思いを抱えた中でのインタビューってのが字面から伝わってきて。もう一人が坂本龍一ってのがこの雑誌らしいというかなんというか。清志郎レスペクトっていうんではなく割合客観的にコメントしている感があってこれもよいインタビューです。

ギターアンプが届いたのに、木曜金曜は家の登記で忙しく、土曜は翻訳仕事を一日中といった感じでさわれていません。ドレミファから練習予定ってのが恥ずかしいですが。



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