近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任


近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任
  • 著:鳥居 民
  • 出版社:草思社
  • 定価:1575円
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大東亜戦争における従軍慰安婦問題がいまさらアメリカ合衆国から糾弾されたり,北朝鮮を追いつめるべき6カ国協議において逆に日本が孤立したり,日本国の外交力は皆無に等しい.そしてこういった問題の全ては,日本が大東亜,日米戦争に突入し,そして,その戦争の終わらせ方をしくじり,その後の戦後処理に失敗してきたことが原因なのだろう.

とはいえ,日本がどのようにして戦争に突入したのか,だれが責任者なのかなんてことをこれまでしっかりと考えたこともなく,ほとんど文献を読んだこともなかったのです.持っている知識は,著者の鳥居氏の言うところの木戸=ノーマン史観に基づいたものであり,近衛文麿は悪者でしかなかった.これに対して本書にて提示されている仮説は,戦争を開始し,なかなか終了にいたらなかったのは木戸幸一の責に負うところが多く,近衛が死ぬしかなくなったのは木戸らの策略によるものであったというものだ.そしてこの策略は,結局のところ天皇を守るため,木戸自身の政治生命を維持するためのものであり,その実行にあたっては米国占領軍内の左派親派が協力したという仮説である.

しかし著者の提示する仮説にはいまひとつ根拠が足りないと思われる.全体を通じて,当時の軍部や政治家達の会話や動きを描いた小説のような印象を受けてしまう.「私が死ぬか,近衛が死ぬか,陛下をお守りするためには....」という木戸のセリフが何度も本文中にでてくるのだが,資料を読み解いて推理した結果からこの言葉がでてきたというより,このセリフが先にあって,それにあわせてストーリーを紡いだかのように読めてしまう.それほど歴史は単純なものではないと思うのだが.あまりに近衛を悲劇のヒーローとして描きすぎていて,もちろんこれはこれで一つの仮説なのだからよいのだが,いまひとつ腑に落ちないし,現実味がないのだが.こんどは一般的に受け入れられている木戸=ノーマン史観の方から本をよんでみるか.いずれにしても,このあたりの歴史についてはよく調べなければならない.