大衆教育社会のゆくえ


大衆教育社会のゆくえ

学歴社会がどうのこうのという話は昔から言われていたわけで、むずかしいね。学歴次第でその後の地位が決まるほど簡単な世の中ではないけれど、就職の時には一番みられたりするわけだし。その問題の前に、家庭環境が子供の学歴に影響しているってのが統計から見えたりするに至っては、所詮世の中、階級社会かと思ったりして。でもこれはこれで悪いとは言えないのだけれども、あまり続きすぎると貴族的退廃に陥ったりして。二世議員はそれなりに政治的な振る舞いができるが本当に政策立案ができるかというとはてなマークなわけです。

以下、引用。

学校での成功が将来の成功を示す指標として働くーーーここには日本社会における学校支配の一面が照らし出されている。社会での成功のチャンスが教育にゆだねられ、しかもゆだねられる範囲がどんどん広がっている。これまで示してきた事実は教育というものが人々の人生の決定に大きな影響力を持つようになった現代日本の一つの特徴を示している。今や私たちは学校という装置に人生の様々な決定をゆだねる社会に生きているのだ。

教育信仰を基礎にした能力主義と平等主義との日本的な絡み合いが大衆教育社会を生み出す基盤であった。

本人の学歴が同じ場合、どのような親の元に生まれるのかがその後の職業的地位の獲得に及ぼす影響は日本もイギリスもアメリカもそう大きくは違わないのである。

メリトクラシーを社会の編成原理の一つにおく近代社会において、不平等の生成と正当化はは学校にゆだねられた重要な役割である。教育を通じて測定される業績をもとに人々を社会経済的地位に配置する。先進産業社会ではどこでも教育を通じたメリトクラシーが社会的不平等の生成と正当化に大きく関わっている。

階層文化から中立的に見える業績を通じて不平等の再生産が行われることはその社会にとってどのような意味を持つのだろうか。一つの解答は学校が不平等の再生産に寄与しているという事態が見えにくく問題になりにくいことである。