努力は重要か

もちろん努力は重要です。ただ、自分さえしっかりして強ければ大丈夫なはずと、自分の力に最後まで頼る姿をみるのはつらくなることがあります。

人間は弱いものとの前提で自分たちを越えた大きな力に生かされていることを認めた方がより強くなれないでしょうか。努力至上主義ともいえる姿勢で相手に対峙する。それは相手を追い込むだけかもしれない、と心の隅にとどめておいた方がよさそうです。

しかし、自分を越えた力を認めるのは難しいことかもしれません。特に男性にとっては、家族が神を信じることへの抵抗が小さい場合でも、自分ではなかなかそういった方向には進まないことが多いでしょう。認めると全面降伏するようなものですから、ちいさいプライドが許さないのかもしれません。

人生の舵取りをしているのは自分だと、最後まで自分の力に頼るのだと思っておきたい。それが男性である自分という存在の立脚点だからです。ちっぽけなプライドですが意外とこれが扱いにくい。

180°頭をきりかえて、中心軸が神に有ることを認めて、自分という主体を明け渡すのは難しいものであり、気持ちの中に悲しい部分と安心する部分が混じります。

中心軸が恵みに満ちた安定した存在であり、追いつめられても、自分の後ろには巨大な存在が控えていてくれる。そんな前提に立つ方がさらに強く生きていけるのではないか、さらに楽に生きていけるのではないか。そんな前提条件あってこそ、努力が重要ではないかなと思います。









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