だれもいなくなったときに自分のことを愛してくれた人達のこと


http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=5242920

The People Who Love You When No One Else Will
by Cecile Gilmer


だれもいなくなったときに自分のことを愛してくれた人達のこと


Cecile GimlerはSan Antonioで1962年に生まれてから26回引っ越しした.今ではUtahのLoganに猫とイヌと一緒に生活しており,イベントプランナーをやっている.彼女はいまでもBeache家の人達とつきあいがあり最近も会いに行ったところだ.


All Things Considered, March 6, 2006

家族というのは血縁による親戚だけではなく,あなたの周りに誰もいなくなってしまった時に現れてあなたを愛してくれる人達も家族なのだと信じている.

1977年の5月,私はHoustonの10号線脇のHoward Johnsonというモーテルに居た.父と私はダブルベッド二つとバスルーム一つの部屋に2人で住んでいたが,15歳の女の子とその父親が住むには小さすぎた.父は再婚していたがその結婚がうまくいかず,妻(継母)に2人とも家から先週追い出されていた.父は私をどうしていいかわからなくなっていた.そんなときだった.もう一つの私の家族が現れたのは.

Barbara/Roland Beach夫妻が自宅に私を住まわせてくれた.私と仲が良かった一人娘のSuがそう頼んだのだ.それ以来7年間,私達は一緒に生活したことになる.

Barbaraは私のチアリーディングのユニフォームをSuのと同じように洗濯しアイロンを掛けてくれた.私が昼ご飯のお金を持っているか,病院の予約をしたか聞き,宿題を手伝ってくれた.ジョーダッシュジーンズや貝殻のネックレスも買ってくれたし,毎夜寝る前に抱きしめてくれた.Suと私がチアリーダーとして参加するフットボールの試合には全て来てくれたし,私がでる劇にもセリフもないのに全て来てくれた.私が言えるのは,Beach夫妻はSuと私を全く違いなく育ててくれた.私はBeach夫妻にとっても娘であったのだ.

Suとわたしが似たり寄ったりの大学にそれぞれ通うために家を出た後も,夫妻は私の部屋を大学に通った4年間そのままにしておいてくれた.最近,Barbaraは私と住むようになったときに買ってそのまま23年間払い続けてきた健康保険を私にプレゼントしてくれた.

私を住まわせてくれた時,Beach夫妻は私のことを全て知っていた.7歳の頃,母が銃の発砲事故のけがが元で亡くなって以来,父は子育てに関して他人に任せっきりだった.Beach夫妻と住むようになるまで,私は,人生は不平等で,愛なんて不確かなもの当てにならないと信じていた.自分が頼れるのは自分だけだと思っていた.

Beach夫妻と出会わなければ私はきっと世をすねたような皮肉屋の女性になっていただろう.夫妻は私が成長して変化することが許される家庭を与えてくれたのだ.自分の過去に麻痺していた私を守り,自分の気持ちを開く自信をくれたのだ.

私は家族というものを信じているが,私にとっての家族は,生まれたその日に居合わせた人達ではなく,10号線のHoward Johnson's モーテルに私が住んでいたときに私を迎えいれてくれた人達なのだ.